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入したか接収したか、何らかの方法で入手したものである。さてその船の船尾楼を改装し、かねて尊崇していた浅間神社の神殿を設え ― 図の八角形の厨子様のものがそうで、その後に日本風の甲板室を造ったものである。ちょうど、浅間神社の土台部がフィップスタッフ(当時の操舵装置)の操作位置で、土台の穴は操舵手用の窓である。その他の部分は小改装で、ピークヘッド(船首突出部)をラム(衝角)的に変えたり、トラック(檣冠)の飾りを変えたりフォクスル(船首楼)・プープ(船尾楼)に紋様を描いたりと、装飾をいじっているに過ぎない。スイープ(長櫂)はもともとに装備されていたものと考えて、船の大きさは、スイープを備え、港湾の出入など特殊な局面では漕いでも進むことが出来ると大きさに想定すれば、さして大型でない、船長25m、排水量300ton程度とする。すると砲も、絵で見るように総18門は過大で、片舷6門とした。スイープは砲窓に対応するので、
やはり片舷6挺となった。全体のシルエットは平均的なガレオン船の形として、当時の動索を係止する(ビレイピン)索止めの使用は未だで、バー(横棒)で艤装する。ヤード(帆桁)フットロープ(足場索)の使用も無いのでヤードの上を歩いて渡るというまだまだ、近代化以前の形式とした。
船名は簡単に「アユタヤ」とする。シャム国の首都名でちょっとご大層だが、「山田長政の戦艦」と言うふれこみで、「アユタヤ」とした。図を下に示します。
アユタヤ要目
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