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山田長政の戦艦「アユタヤ」を設計する

     長政の戦艦を想定する

 以上のような観点から長政の戦艦を想定すると、もちろん、戦艦とは言えず、武装商船に類するものである。しかし長政は複数の貿易船を持っていたことは推察できるがその多くは現地でつくられたシャム船であろう。すなわち中国のジャンク船をベースに発展した 2 檣の船で朱印船の貿易家にも使用せられた船である。その所有船の中の1隻がガレオン船であり、おそらくは、フィリピンでつくられたスペイン船でマニラガレオン、あるいはポルトガル、オランダ船かもしれないが、購

シャム国アユタヤに活躍した山田長政の戦艦図絵馬を元にその復元模型を建造した。描かれた船はガレオン船である。長政はシャムに渡り王に仕え、勲功を上げリゴール王にまで昇りつめた。静岡浅間通り商店街では毎年長政まつりが開催される。

日・タイ友好 長政まつり

山田長政戦艦図絵馬 奉納行列

​静岡浅間通り商店街様より

入したか接収したか、何らかの方法で入手したものである。さてその船の船尾楼を改装し、かねて尊崇していた浅間神社の神殿を設え ― 図の八角形の厨子様のものがそうで、その後に日本風の甲板室を造ったものである。ちょうど、浅間神社の土台部がフィップスタッフ(当時の操舵装置)の操作位置で、土台の穴は操舵手用の窓である。その他の部分は小改装で、ピークヘッド(船首突出部)をラム(衝角)的に変えたり、トラック(檣冠)の飾りを変えたりフォクスル(船首楼)・プープ(船尾楼)に紋様を描いたりと、装飾をいじっているに過ぎない。スイープ(長櫂)はもともとに装備されていたものと考えて、船の大きさは、スイープを備え、港湾の出入など特殊な局面では漕いでも進むことが出来ると大きさに想定すれば、さして大型でない、船長25m、排水量300ton程度とする。すると砲も、絵で見るように総18門は過大で、片舷6門とした。スイープは砲窓に対応するので、

やはり片舷6挺となった。全体のシルエットは平均的なガレオン船の形として、当時の動索を係止する(ビレイピン)索止めの使用は未だで、バー(横棒)で艤装する。ヤード(帆桁)フットロープ(足場索)の使用も無いのでヤードの上を歩いて渡るというまだまだ、近代化以前の形式とした。

 船名は簡単に「アユタヤ」とする。シャム国の首都名でちょっとご大層だが、「山田長政の戦艦」と言うふれこみで、「アユタヤ」とした。図を下に示します。

​アユタヤ要目
シャム国アユタヤに活躍した山田長政の戦艦図絵馬を元にその復元模型を建造した。描かれた船はガレオン船である。長政はシャムに渡り王に仕え、勲功を上げリゴール王にまで昇りつめた。静岡浅間通り商店街では毎年長政まつりが開催される。戦艦図絵馬の船は、ガレオンを何らかの方法で入手し船尾に浅間神社の神殿を設え日本風の甲板室を造ったものであると考えた。長櫂を備え、さして大型でない、船長25m、排水量300ton程度を想定して設計した。
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